系図 — 朝倉吉松家の歴史

このページでわかること

宮野と田中などの系統、墓碑と戸籍による系図整理を掲載。続柄の推定や未確定事項は元の注記とともに確認できます。

このページの目次
  1. 宮野を起点に、複数の系統へ。
  2. 系統の見方
  3. 田中吉松家
  4. 博多吉松家
  5. 宮野傍系
  6. 寒水分家
  7. 田中別系統
  8. 宮崎吉松家(可能性)
  9. 墓碑と戸籍から、種昔以後を整理する。
  10. 1777年、吉松 種昔が生まれた時
  11. 刻字で確認できる人物
  12. 近代側で確認できる関係
  13. まだ確定できない関係
  14. 本流上の継承
  15. 林作家流
  16. 吉松 種昔の位置
  17. 駿河・但馬の名
  18. なぜ宮野に墓石がないのか
  19. 「タジマさん」の記憶
  20. 和三郎=駿河、栄三=但馬説

03 / 系図

宮野を起点に、
複数の系統へ。

系図では、1587年前後に吉松家の一部が宮野に残り、別の一部が田中へ移ったとされます。その後、田中の系統から杷木・博多などへ移った家があり、宮野側にも本流と傍系が残ったと整理されています。以下では、史料上の呼び方に沿って各系統を分けて示します。

初代吉松 定家
2吉松 定明
3吉松 定秀
4吉松 定友
5吉松 定實
6吉松 定則
7吉松 定義
8吉松 定満
9吉松 定信
10吉松 定政
11吉松 定利
12吉松 定栄
13吉松 定次
14吉松 定経
15吉松 定代
16吉松 定宜
17吉松 定房
18吉松 定方
19吉松 定光
20吉松 定雄
21吉松 定延
22吉松 定連
23吉松 定道
24吉松 定以
25吉松 定生
26吉松 定元
27吉松 種助
28吉松 種氏
29吉松 種義
30吉松 種秀
31吉松 種家
32吉松 種良
33吉松 種栄
34吉松 種定
34中継吉松 種経
35吉松 種政
36吉松 種次
37吉松 種生
38吉松 種晟
39吉松 種徳
40吉松 種一
41吉松 種昔
42候補吉松 駿河(実名不明)
43候補吉松 但馬(実名不明)

田中吉松家

種仲 → 種為 → 種治 → 種真 → 種義 → 種重 → 種存 → 種方 → 勘助 → 景山。保正・庄屋から治水、さらに杷木の医療へ。

博多吉松家

種煕の系統。直江による系図整理、春渚らの医療活動を経て、大阪へも展開。

宮野傍系

林作 → 和作 → 和助 → 倉吉 → 弥一郎 → 秀光。現代の宮野吉松姓はこの系統の末裔と考えられる。

寒水分家

種親 → 種祐 → 種宣 → 種章。『吉松系譜』を中心に確認されるが、続柄・代数に課題を残す。

田中別系統

種嗣 → 種友。宮野・烏集院の保正を担った後、筑後へ移住したと伝わる。

宮崎吉松家(可能性)

04 / 墓碑・戸籍による系図整理

墓碑と戸籍から、
種昔以後を整理する。

宮野吉松家墓地の刻字、法名、続柄メモ、戸籍、文献を照合した最新版です。

現在の整理

吉松 種昔は家の位置づけとして本流側に置きます。一方、血縁上は吉松 林作の子で、子のない吉松 種一の後継として本流へ入った可能性を中心仮説とします。

1777年、吉松 種昔が生まれた時

生年差による概算です。

本流の前当主候補

吉松 種一

約14歳

1763年生。吉松 種昔とは生年差が14年です。

中心仮説の父母候補

吉松 林作

約45歳

1732年生。吉松 種昔とは生年差が45年です。

妻・実母候補
釈妙覚信女
約28歳

1749年生。墓碑に「吉松林作妻」とあり、吉松 種昔とは生年差が28年です。

代替案の実父候補

吉松 種徳(吉松但馬定恒)

約49歳

1728年生。吉松 種昔とは生年差が49年です。

墓碑

刻字で確認できる人物

吉松 種晟、吉松 種徳=吉松但馬定恒とみられる人物、吉松 伊六、吉松 種一、吉松 種昔、吉松 林作、吉松 和作、吉松 和助、吉松 倉吉など。

戸籍

近代側で確認できる関係

吉松 和作が吉松 和助の父であることを戸籍で確認。吉松 和助から長男・吉松 倉吉へ続く関係は、墓碑情報とも整合します。

作業仮説

まだ確定できない関係

吉松 種昔の実父、吉松 種一との養子関係、吉松 駿河・吉松 但馬父子の実名・墓所、吉松 林作と吉松 種晟・吉松 種徳の続柄は追加調査が必要です。

作業系図 / 1707年以降

本流上の継承

破線表示は推定関係です。

38代・墓碑吉松 種晟1707–1767
39代候補・有力吉松 種徳=吉松但馬定恒1728–1785同一人物として整理する有力説
40代・有力吉松 種一1763–1806子がいなかったとされる
41代・仮説吉松 種昔1777–1847種一の養子・後継候補
42代候補・未確認吉松 駿河種昔の子候補
43代候補・未確認吉松 但馬種昔の孫候補
惣領・吉松伊六1755–1756

墓碑に「吉松和泉種徳惣領」。本来の跡取りとみられますが、幼くして亡くなりました。

宮野に残った家流

林作家流

  1. 吉松 林作1732–1800種徳の弟候補/種昔・和作の父候補
  2. 吉松 和作1788–1855林作の子候補。種昔の家は継いでいない
  3. 吉松 和助1824–1902戸籍で和作の子、墓碑で倉吉の父
  4. 吉松 倉吉1861–1937墓碑で和助の長男
継承と血縁を分けて読む

吉松 種昔の位置

吉松 種一養子・後継候補吉松 種昔
吉松 林作実父候補吉松 種昔
釈妙覚信女実母候補吉松 種昔

本流上の位置と血縁上の推定を同じ線で表さず、別々の仮説として扱います。

中心仮説種一は種徳の子、種昔は林作の子

種一に子がなかったため、近親の林作家から種昔を迎え、本流の後継としたという整理です。

代替案 1種昔は種徳の実子で、種一の弟

今後、過去帳や位牌などで実父が確認されれば見直します。

代替案 2種一・種昔ともに林作の子
文献で確認

駿河・但馬の名

1853年の朝闇神社石祠に「大宮司吉松駿河正」、1864年の記録に吉松駿河・吉松但馬の名が見えます。

推定

なぜ宮野に墓石がないのか

幕末・明治期の神職制度再編の中で宮野を離れ、他所で没した可能性があります。

口承

「タジマさん」の記憶

地域で宮野の吉松家を「タジマさん」の親族として認識した口承があります。

可能性は低い

和三郎=駿河、栄三=但馬説

整理資料:宮野吉松家墓地刻字メモ、戸籍情報、『吉松系図』『吉松系譜』、朝闇神社石祠、香椎宮奉幣使関係記録、地域聞き取り。今後の確認対象:過去帳、位牌、墓碑裏面、他所墓地、神社関係文書。

上へ戻る ↑